占いの種類
占いとは? 
それは、必要に迫られて「占い」というモノが人間世界に登場しました。
占いによって何を知りたかったのでしょう?
もちろん、それは人によって様々な理由、目的があった訳です。

人は人生を生きて行く過程で様々な悩み、迷いに遭遇します。そんな時、決断力の優れた人や状況判断に長けている人、また身近に人生経験が豊富で、いつでも相談に乗ってくれる人が居る、恵まれた人は、それほど占いなどというものに興味は無いでしょうし、迷信と気にもとめないでしょう。

ここでは、「占い」に興味のある人を対象に話を進めます。
「占い」で知りたいことには、どんな種類の事があるのでしょうか?
私が考えられる範囲のことを挙げてみます。

子供の頃から占いに興味の有る人も居ます。また青年期になって、様々な事、例えば「友人のこと、親のこと、兄弟姉妹の事、健康や身体の事、学業のごとなど、小さい頃には経験しなかった新しい出来事に遭遇した時、何故? 自分は皆と違うのだろう。
何故、自分だけ皆と同じ事が同じように出来ないのだろう?
と、様々な悩みが出てきます。それは、自分が皆と何か違う、劣っている、というような時に、何故なんだろう? と考えることから始まります。
自分は皆より優れている。と思う場合は、あまり何故なんだろう? と探求しようと思う人は滅多に居ないでしょう。
大概は、悪い場合に「何故なんだろう?」と探求したくなるようです。

ある程度、多くの人を鑑定してみると、いわゆる運の悪い人、波乱傾向の有る人が「運命」という物を意識します。楽しく日々の生活を送っている人は、「何故、私はこんなに幸せなんだろう?」などと考える人は滅多に居ません。幸せは「当たり前」と感じるようです。
でも、嫌なこと、不幸なこと、悩みは、特別な存在として意識するんですね。

幸、不幸は有りとあらゆる人に振り分けられます。自分で選ぶことは出来ません。それも小さい頃には、自分は不幸なのか、幸せなのか、まだどっちなのか判らない人も多いです。実は生まれた時にすでに決まっていることですが。
成長とともに、不幸な人は「変だな?」と、何か自分ではどうにもならない不思議な力を感じ始めます。自分では一生懸命努力しているのにもかかわらず、裏目になったり失敗したりします。

しかし、そこから意志の強さというものが影響してきます。
幸、不幸に関係なく「意志の強い人」は、たとえ何回失敗しても努力を続けます。
意志の弱い人は、旨く行かないことが続けば早々に諦めてしまい「自分には才能が無いんだ、向いていないんだ、こんな苦労するのは嫌だ」、となってしまいますから、もちろん成就することは出来ません。

ところが、意志の強い人は何度失敗挫折しても、血の出るような努力を重ね続けます。
実は、この後が重要なんです。
多くの月日を掛けて努力の結果、そこそこの才能と運の有る人は成就出来るのです。
もし、才能は有っても運の無い人は、無理が祟って病気や怪我、あるいは亡くなってしまうかも知れません。いくら気力が有っても、最後には運が必要です。この場合の「運」とは、頑張ることに耐えれる「健康運」、物事が成就出来る「仕事運」、総合的な「命運」が無かったら、物理的に尅されて終わりになります。
もっとも、幾ら意志が強い人でも、そうなる前に、「もう無理か・・・」と悟る場合が多いですけど。

さて、今まで述べて来たことは、生まれ持った運勢の事です。
自分の才能、性格、頑張れる人か、人間関係は旨く行く人か、健康には恵まれて居るのか、人の助力を受けられる人なのか、苦労しなくても金銭財産が入って来るのか、事故や災難に遭いにくいのか、仕事をして成功出来るのか、自分に合った人と結婚出来て、末永く添い遂げられ、楽しい家族と家庭が持てるのか、家や不動産にも恵まれるのか、精神的にも楽しみを持てて、人生を楽しく過ごす事が出来るのか、両親は素晴らしい人で、その恩恵も受けられ、親の介護に苦労しないで看取ることが出来るのか。
などなど、一生に関わる出来事を観る占いを「命術」といいます。

何故、「命術」のことを、こんなに長々説明したかと云いますと、私の専門が「命術」の1つである「紫微斗数占星術」だからなのです。
「命術」というのは、人の一生の出来事を占うことが出来ます。また、その出来事の時期を年齢などで示すことが出来ます。「命術」には、何種類かの占いが存在しますが、「紫微斗数」は、出来事の時期を鑑定次第によっては、「月、日」までも割り出すことが可能な占いです。
「命術」で人の一生を占う場合には、「生年月日」さらに、「出生の時刻」と「出生地」が必要です。
世の中には「命術」の仲間がたくさん有りますが、単純に「生年月日」だけで占うものや、年月ていどで占うものも有りますが、ハッキリ言って詳しいことは占えません。
紫微斗数も「年月」だけで、人生の大きな傾向は同じに結果が出ます。しかし、物事が起こる時期を占うのには、「時刻」は必須です。

命術の種類を以下に挙げてみます。

◎ 紫微斗数
◎ 西洋占星術
◎ 四柱推命
◎ 宿曜占星術
◎ 九星気学
◎ 他

「紫微斗数」という占いは、いろいろな人の鑑定を通して、一生の人生を検証してみると、人の一生のシナリオはある程度出来ていると感じてしまうことが非常に多いです。

占いの種類によっては、「開運」という方法によって「幾らでも良いことに変えれる」と唱える人も居ますが、実際に検証してみると、重大でない事はある程度、運勢を知っていて、その時期以前より前から努力をしていれば、運勢の流れを旨く利用して結果を出すことは出来ると断言出来ます。しかし、運勢の流れを根本的に変えることは不可能と断言します。
安易に「開運」と謳っている人も見掛けますが、そう簡単に神様の定めた事が、人間如きの者に変えれる訳が無いのです。
天の定めた道に添いつつ、その中で効率よい人生を歩むことこそ、最大の開運と考えて居ます。
占いとは、天の理、神様の理を知ろうとする行為の1つと思います。
その理を少しだけ知っただけなら、大した影響を人生に与えないでしょう。
もし、必定と言われるような、「必ずこの時に起こる」という状況まで読めるように成ったら、それは神様の理の領域に足を踏み入れることなのだと思います。
それで、その理が嫌で力ずくで変えよう(開運)としても、必ず別の形で精算させられると感じます。
本当の神様の話では、この世は地獄で、人々は試練を受けるために生まれてくるのだそうです。確かに運が悪く生まれてくると恨みたくもなります。捻くれて道を逸れたくもなります。しかし、そのような事をすればするほど、状況は何故か益々悪くなって行く一方です。
持って生まれた宿命は受け入れ、その中で目の前の課題をどうしたら良いのかを、先ずは考えることが先決と思います。大きな山の麓で山頂ばかりに目が行っていては、まともな登山は出来ません。先ずは、目の前の、どの道を進んだら良いのかを考えることの方が重要です。
不平不満を言う暇が有ったら、目先の困難の解決策を先ずは考えましょう。
いきなり大きな夢を観てばかりでは、夢は実現しません。

人は、一度、思い切り堕ちる所まで堕ちてみれば解ります。
何気ない僅かな事が至福に感じることでしょう。

金持ちは幾ら金を貯めても、不足してると感じるものです。
毎日、美味しいご馳走を食べて居ると、何を食べても美味しいと感じなくなります。
これこそ不幸です。

短い命でも、それまで生きれたと、その短い期間を充実されることを考えた方が得策です。泣いても喚いても決まってしまっている寿命は長くは成りません。
与えられた寿命を有意義に生きることこそ、天の理に添った生き方と思います。


□ 「命術」以外の占い
生年月日など一切関係なく、身近の出来事の良し悪し、選択に迷った時に便利な占いが「卜術」といいます。これには種類が大変に多いです。
私も毎日の事を、その朝に占ってます。その後、その結果を踏まえて神様にお参りさせて頂いてます。悪い結果が出た日には、それを踏まえた行動をし、良い結果が出た日には、解決したい問題などがあれば行動に出ます。神様のご加護も有ると信じていますが、その夜のお参りには感謝のご報告が出来ます。

「卜術」の種類
◎ タロットカード
◎ 周易
◎ ルーン
◎ 六壬神課
◎ 九星日盤(四盤掛け)
◎ 他

卜術は、生年月日などのデーターは一切使いません。その代わり、占う(鑑定する人)時の「念」、つまり占う事への精神的集中力、(気ともいう)がとても大切です。
(占う時の、年月日、時刻などを使う卜術も有ります)

卜術の精度を上げるには、日常的に占う訓練が必要と感じます。
例えば、その日の運勢を毎日占い、夜に反省してみるとか、カードや卦の意味を様々に解釈するインスピレーションを膨らます訓練が大切と感じます。このような経験は「命術」の鑑定にも大いに役立ちます。

例えば、紫微斗数の命盤の解釈も「四化飛星」した結果の事象も、勉強した通りの解釈だけでは、とても狭い判断しか出来ないと感じます。
紫微斗数の命盤には、非常に多くの情報が秘められてると感じます。
ただ、大勢の鑑定を記録挑戦みたいに行うだけでは、あまり意味が無いように感じます。
一人、一人の命盤と、その人生について細かく検証するといった手間の掛かることが、重要に感じます。
身近な人達を多く鑑定させて頂いていますと、その後の実際の現象と命盤の意味と、新しい発見が有るものです。そして、その新しい発見を他の人の命盤でも照らしあわせて観ることによって、マル秘ノートへのアンチョコが増えて行くことになります。
これは、教科書にも無い、師匠も教えてくれなかった、大切な宝と成るのです。