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占い 紫微斗数 宮立命
紫微斗数の起源
 紫微斗数という占術は、古くて新しいという表現がピタリとする占いです。

 古くとは、西暦618~907年の唐の時代の、中国が発祥です。今から1300年ほど前になります。

しかし、最近の台湾の老師は紫微斗数は人間が考えた物では無いのでは?
と考えるようになったというのです。紫微斗数は「あの世」つまり霊界(天上界)から降ろされた物だと言うのです。そう解釈した方が理屈には整合性が出てきます。

それでも、一般的には以下のような経緯をたどってきました。
新しいとは、今から30年ほど前から台湾辺りで書籍が出始めました。と言うことは、およそ1200年間もベールを覆ったままになっていた神秘の占いなのです。
 そんなに長い期間、秘密の占いになっていた間には、四柱推命という占いが広く広まり、的中率の素晴らしさから他の占術が入り込む余地など皆無という状況になっていました。

 四柱推命の発祥も「紫微斗数」と同じ年代の中国です。しかし、この四柱推命は難解な占いで、生年月日、出生時刻から人の一生が占えるのですが、難解故に書物で伝わってきても、その解釈が難しかったようです。日本では多くの占術研究家がこれに取り組み、様々な解釈が生まれました。正に元の樹木は一本でも幹から延びた枝葉が四方に広がり多くの流派を産みました。

 問題は、流派の解釈によって占った結果が「真逆」に成ることもあるということです。これでは占って貰う側からしたら大変な事です。これでは困ります。

 実際に現在でも鑑定結果が、占い師によってバラバラで悩んで居られるお客様も多いのが現状です。

 四柱推命を正しく解釈出来るように成るのには、多くの研究と経験が必要で数年程度では、確かな鑑定が出来る程には成らないようです。
 現実的には、何十年も掛かるようです。

 一方、紫微斗数は、歴史は四柱推命と同じで古いのですが、世に出て30数年で、原点は唐の時代の中国で「陳希夷(ちんきい)」という仙人によって説かれたとされています。
 占う理論が、四柱推命とは全く異なり、紫微斗数は一定の法則にしたがって「命盤」というホロスコープに決められた「星」という様々な文字を配置して、最後に「命盤」の12のマス目(12の宮)に配置された星の位置によって、人の一生の状態を読み取る技術です。
 この命盤は、一生の傾向の他に、巡る年月日にちまでもの運勢を鋭く読み取る事が出来るために、四柱推命の及ばないところとなりした。占いの本場「台湾」では、現在は人の一生を占う占術と言えば「紫微斗数」と言われるまでになっています。あいにく、まだ日本では知名度も低く、紫微斗数の名称すら聞いたことが無い人達も多いのが現状です。

 また「紫微斗数」は一般に開放されから、30年有余年しか経っていないので、命盤解釈が大きな枝葉に分かれて居ないので、占い師によって結果の大きな差が出ないのも、信頼を得られた原因の1つでは無いかと思います。
 とはいえ、紫微斗数にも鑑定レベルに応じて「流派」のようなものが存在します。
 日本に伝来間もない頃の紫微斗数は、命盤の12宮に配置された星の種類を観て占っていました。この方法を「星曜派、あるいは三合派」といいます。
 この星の種類で占う方法は、人の性格や傾向を観ることが出来ます。ただ、巡る時期の吉凶や現象を占うのには曖昧さが多くイマイチでした。
そして
数年前辺りから、「四化飛星法」という独特の技法が伝来し、この飛星法で巡る時期の運勢や事象がはっきり占えるようになりました。
 飛星法を使うと、人の一生の様々なジャンルの適否がはっきり判るようになります。

 この「四化飛星」にも、旧タイプと最近伝来した「新四化飛星法」が有ります。
 巡る年月日の運勢の吉凶を的確に占えるのは「新四化飛星法」です。
 「旧飛星法」は、「新四化飛星法」で見られない部分の事象を占うのに適しています。表面的には判らない、その人の隠されたものが暴き出されるのも旧飛星法です。「新四化飛星法」は、予測に優れていると感じます。両方の飛星法を使いこなすと、非常にきめ細かい鑑定が出来ると感じます。

 ここで、さらに新しい技術「欽天四化飛星法」というのが、ここ1~2年で日本にも広がり始めました。ただ、この欽天四化は、理論的に難しいので、段階を踏んで学んで行けば習得出来ると感じます。欽天四化の優れたところは、「必ず、いつ起こる」という事が判る技術です。良いことも悪いことも、「欽天四化紫微斗数」で鑑定して、「起こる」と出たら、「必定」です。避けようが無いという訳です。
 良いことなら問題は無いのですが、身の危険、災厄ならば、その原因を知って努力する事で避けようがないことでも、回避できたり軽減できます。

 このように、紫微斗数は日本に伝来して歴史が浅いですが、四柱推命を抜いて占術の最高峰になるでしょう。


ところで、紫微斗数のこの完璧なロジックを果たして人間が考え出したのでしょうか? 私は人間には、とうてい無理なことと思っています。

そんな疑問に台湾の老師が応えてくれました。「紫微斗数は、あちらの世界から降ろされたのだよ」という事です。「あちらの世界」というのは、つまり「あの世」です。そもそも人の人生は、物質世界の「この世」と非物質の世界の「あの世」と繋がっていて、円運動のように繰り返しているというのです。
そして、あの世の世界の方が永い期間居るのだそうです。この世には「魂の修行」のために肉体という衣をまとい、一生のシナリオと「あちらの世界」に帰る年月日、時刻まで決められて、親まで選んで生まれて来るそうです。
だから、紫微斗数で、人の一生のシナリオも「死期」も判るという事です。

したがって、死は終わりでは無いということです。単なる「物質世界」から「非物質世界」へ移動するだけのことなのです。非物質世界へは、物質の肉体も金銀財宝も持って行かれないのです。持っていかれるのは「霊魂」のみです。

詳しくはBlogを御覧ください。
http://ameblo.jp/miya-ritumei/

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